はるこの思うこと、お知らせなどを書いていきます。
こんばんは。 はるこです。
本日も帝王学からの一言をお伝えします。
帝王学は2500年前もの前からも伝えられている東洋哲理体系の学問です。
古代より日本においても国の権力者やリーダーが学ぶ学問として用いられてきています。
現代においては、日常生活や会社での様々な問題を解決する指針として活用されています
今も、多くのリーダー・成功者はこの哲理を実践しているのです。
本日の一言は根本原因を改善する
です。
このことにつきましては
人生で体験する結果には、必ず複数の原因がある。
一つの物事だけが起因となるのではなく、いくつもの原因が複雑に関係している。
根本的な在り方を変えない限り、今の体験や人生の質が変化しない。
人生の全ての体験は心の在り方へのフィードバックでもある。
とおっしゃっています。
師がおっしゃることの一つに
問題を解決してはならない
ということがあります。
問題というのは、ここでいうところの人生で体験する結果です。
結果には必ず原因があります。
原因は一つではありません。
もう少しいうと,メインとなる主原因と、複数の副原因が相互作用をして一つの結果にたどり着きます。
病気を例にするとイメージしやすいかもしれません。
そうですね・・・たとえば
食事後に具合が悪くなり、腹痛・嘔吐・発熱などの症状がでて3日寝込みました。
調べたら、その時の食事に出たものに食中毒を引き起こす細菌が出てきました。
一緒に食事をしたメンバーには腹痛や嘔吐の症状があった人もいましたが、3日も寝込んだのは自分だけでした。
このところ仕事が忙しく、睡眠不足が続いていました。
トラブルもあったので、ストレスもありお酒やたばこの量が増えていました。
という場合、
食中毒になってしまった主原因は食中毒菌です。
ですが、重症化した要因として過度のストレスや睡眠不足などの生活習慣の悪化もあります。
何か問題が発生した時、主原因となるものは私たちの力の及ばないところで起こるかもしれません。
現在のコロナウィルスによる感染拡大はまさに、私たち個人ではどうすることもできないものです。
苦しい状況に置かれている人がたくさんいらっしゃいますが、
時的に状況が悪化したとしても挽回し、これまで以上の良い状況を作り出している人たちもいます。
この違いはどこにあるのでしょうか。
私たちの物事の捉え方、人との関わり方、あり方、そのものだといえます。
人生には、自分の力では制御できないことが原因でピンチがやってきます。
その時の起こる問題に対処するだけではまた同じことを繰り返すだけです。
病気になった時にその症状を押させる治療をする陀では、またすぐに体調を崩してしまいます。
病気にならない、重症化させないような日頃からのケアが必要なのと同じで、
日ごろをどのように生きるかが大切なのです。
おはようございます。 はるこです。
本日も帝王学からの一言をお伝えします。
帝王学は2500年前もの前からも伝えられている東洋哲理体系の学問です。
古代より日本においても国の権力者やリーダーが学ぶ学問として用いられてきています。
現代においては、日常生活や会社での様々な問題を解決する指針として活用されています
今も、多くのリーダー・成功者はこの哲理を実践しているのです。
本日の一言は
苦しみは執着から生まれる
です。
このことにつきましては
人は「これは私のものである」と執着して苦しむ。この世の全てのものは存在しては消滅していく。執着する必要はないのだ。
紛争、口論、悲しみ、憂い、中傷・・・これらは執着から生まれる。執着しない人は「これは私にはない」と苦しむことはない。
とおっしゃっています。
以前「渇愛」についてお話をしました。
渇愛、常に満たされない想いから、私たちは今手にしているモノ・ヒト・コトを手放すまいと執着をします。
人とは不思議なもので、「そんなもの持っていなくてもいいじゃないか」と思うようなものにもしっかり執着を持っています。
それは
過去のつらい経験、痛み
です。
これは・・・しっかりグリップしている人が多いです(汗)
深い傷となる体験もあります。人生がズタズタになるような思いもあったと思います。
そこは私が軽々しく言えることではないことも承知しています。
ですが、壮絶な体験に踏みにじられたとしてもそこから這い上がり、人生を好転させている人もたくさん知っています。
それはその人だからできた?
いいえ、誰かにできることはあなたにもできます。
人間はどんな状況からも人生を好転させることができます。
最近は「親ガチャ」と言って、自分の人生がうまくいかないことを親のせいにするという話もよく聞きます。
私は親ガチャを主張する人が嫌いです。
自分の人生に責任をとれるのは自分しかいません。
もちろん簡単ではありません。
それでも、過去のつらい経験を、その時の思いや傷を手放し前に進むことは
誰にでもできるのです。
それでも過去の傷を、つらい経験をグリップし続けるのは
過去のせいにして今を頑張らない言い訳ができるから
に他なりません。
ラクだもの。
ラクって、なかなか手放せない快楽です。
過去にどんなことがあっても、今は同じではありません。
過去に執着し続けるのか、手放して違う未来をつかむのか。
あなたの選択次第です。
本日も健やかな一日となりますように。
おはようございます。 はるこです。
本日も帝王学からの一言をお伝えします。
帝王学は2500年前もの前からも伝えられている東洋哲理体系の学問です。
古代より日本においても国の権力者やリーダーが学ぶ学問として用いられてきています。
現代においては、日常生活や会社での様々な問題を解決する指針として活用されています
今も、多くのリーダー・成功者はこの哲理を実践しているのです。
本日の一言は
長所も短所も資質の一つ
です。
このことにつきましては
人には様々な資質が宿っている。その資質を陽転させ、世の中に役立った時に長所と呼び、陰転して役立たなかった時に短所と呼ぶ。
長所と短所は表裏一体である。短所を改める必要はない。眼の前のことにただ尽くしていくと、短所の資質が陽転し長所として開花していく。
師が
短所をなくそうとしてはいけない
とおっしゃっていたことを思い出します。
短所に見えているかもしれませんが、実はその資質が人生に役立っていることも多いのです。
ただちょっと行き過ぎだったりするだけです。
周りの人にも同じようにするように強要したり、そのことにばかり意識を向けて視野狭窄になったり。
短所として出やすいことは、もしかすると「思い通りにしよう」という気持ちが強く出やすい資質なのかもしれませんね。
自分の資質を知り、律することができれば短所は長所へとなっていくのではないでしょうか。
一方・・・
今「長所」と思っていることについても注意が必要です。
師はよく
人は長所で失敗する
とおっしゃいます。
そう、失敗を引き起こすのは短所ではなく長所なのです。
短所は「あ、そうだ、これはやっちゃだめ」と自分でも気を付けたり制御することができるのですが、
長所となると、得意で「できる」分だけストッパーがなくなり暴走してしまいます。
加えてできない人が馬鹿に見えて傲慢な態度をとってしまうことも。
成功、成果結果を出すためには人様の協力が必要不可欠です。
傲慢な人に人は手を貸してはくれません。
「一人でやれば?」「どうぞご勝手に」となります。
短所も長所も、どちらもあなたがもっている大切な資質です。
どう活用するかは自分次第。
せっかくだったら良い形で活用したいですね。
本日も健やかな一日となりますように。
おはようございます。 はるこです。
本日も帝王学からの一言をお伝えします。
帝王学は2500年前もの前からも伝えられている東洋哲理体系の学問です。
古代より日本においても国の権力者やリーダーが学ぶ学問として用いられてきています。
現代においては、日常生活や会社での様々な問題を解決する指針として活用されています
今も、多くのリーダー・成功者はこの哲理を実践しているのです。
本日の一言は
すべてがあなたにちょうどいい
です。
このことにつきましては
今のあなたに 今の夫がちょうどいい
今のあなたに 今の妻がちょうどいい
今のあなたに 今の子供がちょうどいい
今のあなたに 今の親がちょうどいい
今のあなたに 今の兄弟がちょうどいい
今のあなたに 今の友人がちょうどいい
今のあなたに 今の仕事がちょうどいい
死ぬ日もあなたにちょうどいい
すべてがあなたにちょうどいい
とおっしゃっています。
いきなりカミングアウトからなんですが
私、結婚相談所のブログが大好きでして。
しかも毒舌系の。
中でも大好きなのはこちら。
毒舌を通り越して罵詈雑言レベル・・・とも言えますが
フォロワー数が1万人を超える大人気のブログの一つ。
婚活している男女どちらにもある一定の割合で
「いい人がいない」「申し込んでくるのは変な人ばかり」
「いいな、と思う人とは会えない」
と、文句ばかりを言う人がいるそうな。
毒舌系結婚相談所のブログの方が口を揃えておっしゃるのは
お見合いが組める相手が今のあなたにちょうどいい
んだから、文句を言うな!
ということ。
自分のことを棚に上げて求めすぎじゃーー!!
ということだそうです。
(私が言ったんじゃないですよ←ここ重要)
婚活がわかりやすかったので例としましたが、
仕事だって同じです。
「きつい」「つならない」「やりがいがない」
と不平不満ばかり並べる人もいます。
ですが、物事・出会う人などすべては「縁」によってつながっています。
出会ったヒト・モノ・コトは必要だから出会い、そしてつながっているのです。
この、相手や仕事に対して渦巻く想いはどうしたら解消されるのか。
とことんそれらと向かい合うことです。
これは「ひたすら我慢しなさい」と言っているわけではありません。
特に家庭について、わが師は
家庭は安寧を求める場所ではない
自分を磨く場所である
とおっしゃいます。
とことん向かい合った結果、関係性が改善されるかもしれないし
発展的に解消することになるかもしれません。
ともに成長できるかもしれないし、片方だけが成長しバランスを欠いてバラバラになるのかもしれません。
それはやってみないとわからない。
よくスピリチュアル的には
「生まれてきた使命がある」「何のために生まれてきたのか」
という問いがあります。
それらが何であれ、そこに到達するために一番必要な学びを与えてくれるのが
あなたにご縁があった人なのです。
だから「ちょうどいい」のです。
本日も健やかな一日となりますように。
おはようございます。 はるこです。
本日も帝王学からの一言をお伝えします。
帝王学は2500年前もの前からも伝えられている東洋哲理体系の学問です。
古代より日本においても国の権力者やリーダーが学ぶ学問として用いられてきています。
現代においては、日常生活や会社での様々な問題を解決する指針として活用されています
今も、多くのリーダー・成功者はこの哲理を実践しているのです。
本日の一言は
求めることを手放す
です。
このことにつきましては
今この時よりも最大最高の瞬間などどこにもない、と確信できたとき、
人の心は安寧を感じ、ある意味での悟りの境地に導かれていく。
何かを求めることを手放した時、初めて悟りを体感することができる。
執着を手放すことだ。人生に必要なものなどなにもないのだ。
とおっしゃっています。
昨日の渇愛のお話とも関連しますね。
ないものに目を向け「欲しい」「欲しい」と望んでいるうちは心には波風がたち、安寧を感じることはできません。
「悟り」とは何か?
と言われると、まったくもって煩悩の塊の私には解説するのも憚られますが、
心の安寧はまさに悟りの境地なのかもしれません。
「これは私のものだ!」と、いろいろなものをしっかりとグリップし、
両手にあふれるほどいろいろなものを持っているにもかかわらず「もっと欲しい」と求め続けると、非常に苦しい。
インナーチャイルドカードにも「ジャックと豆の木」というカードがあります。
このカードの中でジャックは豆の木の蔦に足を取られ逆さ吊りになっています。
ジャックの片手に金の卵を産むめんどりを
もう片方の手に斧を持っています。
斧があるので蔦を切ればこの状況から脱出することができますが
そのためにはいったんめんどりを手放す必要があります。
めんどりを手にしたまま蔦を切ってしまったら、頭から地面に落ちてしまいます。
それは非常に危険です。
実際に逆さ吊りになる機会は、人生の中でそうそうありませんが(笑)
このように執着を手放せないでピンチに追いやられることは、ままあります。
せっかく手に入れた何かを、一瞬でも手放したら失ってしまう・・・
誰かに取られてしまう・・・
不安が
恐怖が
あなたを更なる不安や恐怖に向かわせてしまうのです。
じゃあ、それを手放したらどうなるのか?
確かに、今まで握りしめていた「それ」はなくなるかもしれません。
ですが、握りしめていた手が自由になりました。
また新しいものを手にすることができるようになりました。
「これでなければいけない」
というものはありません。
それはただの思い込みです。
手放すことで、もっと素敵なものが入ってくる可能性が広がります。
可能性を広げましょう。
今日も健やかな一日となりますように。
La rosa azul
本来のあなたの可能性を再確認し、前に進む力に変えましょう!
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